アイスクリームの世界史

健康食品から嗜好品へ、古代の氷菓

アイスクリーム古代のアイスクリームは天然の氷や雪を利用したものでした。当初、氷や雪は食品を腐らせないために冷やす役割として使われていました。しかし、やがて氷や雪を冬に貯蔵し、暑い夏にたべるようになったそうです。しかしデザートなどとしてたべていたわけでなく、夏の暑い時期に兵士のやる気を上げるためにという位置づけで食べていたそうです。今で言う栄養ドリンクのようなものですね。
この氷や雪をデザートとして楽しんだ最初の人が、ローマの英雄ジュリアス・シーザーと言われています。彼は部下を万年雪の積もる山へ部下を走らせ、氷や雪を運ばせたそうです。その氷や雪を、乳・蜜・ワインなどを混ぜて、楽しんで飲んでいたといわれています。
初期のアイスクリームは食べるものではなく、飲むタイプのシャーベットかき氷みたいなものだったようですね

ネロも愛飲した、ドルチェ・ビータ

暴君で名高いローマの皇帝ネロ(37~68)は、アルプスから万年雪や氷を運ばせ、果汁、蜂蜜、樹液などをブレンドして作った氷菓『ドルチェ・ビータ』を好んで飲んでいたと伝えられています。この『ドルチェ・ビータ』は、ローマ市民の間にも広がっていったそうです。
ローマの将軍クイントゥス・マキシマス・グルゲオの文献には、氷菓の製法が残されており、最古のアイスクリームのレシピと言われています。
大帝国を樹立したアレキサンダー大王(BC356~323)は山から氷や雪を運ばせて、果汁に糖蜜を加えた冷たい飲み物を戦場で兵士たちに与えていたそうです。また、自身もミルク、蜂蜜、ワインなどに氷を加えた飲み物を好んで飲んでいたと言われています。
医学の祖であるヒポクラテスは、著書に『冷たい飲み物は肉体をいきいきさせ、健康を増進させる』
アイスクリームの効能を述べています。

マルコポーロが伝えたアイスミルク

アイスクリーム乳を凍らせたアイスミルクがシルクロードによって、中国からイタリアへ伝わったという説があります。アイスミルクを中国からイタリアに伝えたのが、「東方見聞録」で有名なマルコ・ポーロ(1254~1324)だという説が有力です。マルコポーロは中国を訪れた際、中国宮廷にてもてなされたアイスミルクを味わい、その作り方をヨーロッパに持ち帰ったといわれています。これが評判になり、アイスミルクの作り方は北イタリア全土に広がったそうです。

シャルバートからシャーベットへ

シャルバート」はアラブの砂糖を使い、氷や雪で冷やした甘い飲み物です。シャルバートシャーベットの原型とも言われています。古代ヨーロッパにもアラブのシャーベットが伝えられ、ソルベットに変化していきました。シチリア島では、いろいろな種類の果物などを使った香り高いソルベットが作られていました。その一つがシチリア名物の「カッサータ」だそうです。
アラブのシャルバートがシルクロードを経て、中国にもたらされたという元の記録も残っています。大元帝国を建国したフビライカン(1215~1294)は、自分の父の病気を癒したイスラムの妙薬を求めます。それが「舎里八」(シャルバート)で、いろいろな種類の果汁に砂糖を混ぜ、香りを付けた水をお香などで風味付けし、雪や氷で冷やしたものといわれています。

16世紀イタリアからフランスへ

16世紀はアイスクリームは大きな発展を遂げた時代でありました。パドヴァ大学教授であったマルク・アントニウス・ジマラが、水に硝石を入れその溶解の吸熱作用で水の温度が下がることを発見しました。当初ワインなどを冷やす技術としていましたが、やがて技術の革新により飲み物を凍らせる技術を発明しました。この技術は17世紀初頭にはイギリスにも伝わりました。
アイスクリーム
16世紀半ば、フィレンツェの大富豪メディチ家のカトリーヌは後のフランス王アンリ2世となるオルレアン公に嫁ぎます。叔父のローマ法皇クレマン7世に付き添われ、菓子やアイスクリーム職人をはじめ料理人を伴ってのお嫁入り。婚礼の宴では、メディチ家の料理人たちによりイタリアの豪華な料理がサービスされました。なかでも、木イチゴやオレンジ、レモン、イチジク、レーズンなどのドライフルーツなどを使ったシャーベットのすばらしさにフランスの貴族たちは感動したそうです。
イギリスにアイスクリームが渡るのは17世紀半ば、カトリーヌ・ド・メディチの孫娘アンリエッタ・マリアとイギリス王チャールズ1世の結婚によってです。その時にアイスクリーム職人を連れて行きます。チャールズ1世は、アイスクリーム職人の作るアイスクリームの魅力にとりつかれ、さまざまなアイスクリームを作らせました。その時創作されたと言われる一つが『グラス・ナポリタン』で、三色アイスクリームです。
17世紀末、シャーベットの製法は国家の秘法とされていました。1686年、シチリア島出身の菓子職人フランソワ・プロコープがパリのサン・ジェルマン・デ・プレの近くで「カフェ・プロコープ」を開店。現在のアイスクリームの原型となるホイップクリームを凍らせた『グラス・ア・ラ・シャンティ』、卵を使った『フロマージュ・グラス』など次々生み出したそうです。

アメリカで発達したアイスクリーム

アイスクリームアメリカにアイスクリームが伝わった年代ははっきりしていません。
1700年の日付けのあるメリーランド州知事ブレーデンを訪れた客の手紙に「ちょっと珍しいデザートを食べた。イチゴと牛乳を使ったすばらしいアイスクリームで、非常においしい」という内容がありました。これがアメリカにおいて初めてアイスクリームという言葉が出てくる資料となります。 第4代大統領の夫人が、1811年に初めてアイスクリームをデザートとして登場させたのがホワイトハウスの晩餐会でした。しかし当時はアイスクリームを作る技術が乏しかったため、手でかき混ぜてつくるという重労働でした。
アイスクリーム産業のきっかけは、1851年、ボルチモアの牛乳屋ヤコブ・フッセルが余った生クリームの処理に困り、アイスクリームの生産販売を思い付きます。牛乳工場をアイスクリーム工場に切り替え、アイスクリームの産業化が始まったのです。
1870年代には、アンモニアガス圧縮式の冷凍法によるアイスクリームの工業生産が始まりました。
1868年、屋台のアイスクリーム売りがはじまります。出稼ぎのイタリア人たちが氷入りの冷蔵庫を乗せた手押し車でアイスクリームや氷菓を売り歩いていました。その年代を背景にしたアニメや映画でもよく見られる屋台のアイスクリーム販売方法です。
アイスクリームの受け皿になり、かつ、そのまま食べられるトウモロコシでできたコーンは、発明者が不明です。このカップは、1904年のセントルイス万国博覧会のアイスクリーム売りが使用し、一気に全世界に広まりました。
1920年から14年間続いた禁酒法により、多くのビール会社がアイスクリーム産業に参入。かつてないアイスクリームが発売されたり、新技術も開発されました。日本でもおなじみのアイスキャンディーはこの頃誕生しました。
1984年、アメリカの『国民アイスクリームの日』制定 されました。1984年、レーガン大統領は、アイスクリーム産業が乳業の発展に貢献したとして、7月を『国民アイスクリーム月間』、7月の第3日曜日を『国民アイスクリームの日』と制定しました。 アイスクリームの日を制定するなんて、アイスクリーム最大の消費国アメリカならではの行事と言えますね。